既定事実のように錯覚しない事 投稿者:山梨評論 投稿日:2006/12/30(Sat) 16:18  No.238  Home  [返信]
当方が2003年以来山梨県政を見てきて感じたことは、行政施策に関して新聞が報じる時に、あたかもそれが既定事実としてそのまま進行するかのように書かれている事です。
各方面から問題が指摘されても、現場ではそのまま進んでしまって、これは駄目だと多くの県民にも分かった時には引き返せなくなっている。その例を数え上げる必要も無いでしょう。

今日気が付いた日本共産党山梨県委員会の記事ですが、
http://homepage3.nifty.com/jcpyamanashi/annai/061226.html
中部横断道建設「県民負担方式」について、国交省側は「前例はない」としつつも、知事が建設方式の転換を表明すれば、見直しもありうることを否定しませんでした、と書かれています。
「前例が無いという理由は理由にはならない」、改革とはそういう意識から発するもの、行財政改革もこのスタンスであるべきものだということは、誰もがよくお分かりだと思います。
http://mytown.asahi.com/yamanashi/news.php?k_id=20000000612300003
笛吹市さんが開票作業で前例を打ち破ろうとしている、この挑戦こそが今、山梨に求められている事だと実に嬉しく思います。
   Re: 既定事実のように錯覚しない事 投稿者:管理者 投稿日:2006/12/31(Sun) 09:35  No.239  
山梨評論様、いつもながらの情報提供有難うございます。

>知事が建設方式の転換を表明すれば、見直しもありうることを否定しません。

この部分が大切です。
横内正明さんは元職が国土交通省勤務。
だから、今からでも十分これはあり得ると言い続けているのですね。
県費投入が必要ならば行っても良いのですが、そうでない部分につかう必要性は全くない。
しかも、中日本高速の言い分は、南部・富沢間は無料と言いながら、六郷・増穂は有料と言うのですから。
山梨県民が県庁に向かうのにお金払って、静岡県に買い物に行くのは無料。
この原点での議論が忘れられていますね。
もう一度、原点からの議論を行ってほしいと考えますが如何でしょうか。