財源と行政サービス 投稿者:山梨評論 投稿日:2007/01/07(Sun) 14:11  No.242  Home  [返信]
法定文書図画として掲載された最後の画像が良かった
http://www16.ocn.ne.jp/~fyk/20070104.htm
曖昧だとかバラマキだとか批判された横内さんの政策提言が的を絞って表現されていると感じました。

特に、法定ビラの「財源なくして行政サービスの充実は不可能です」
ここのところが一番肝心で、有権者として過去のデータも踏まえて検証しなければならないこと、候補としてはそれを明確に提言できるのがマニフェストですね。

現実問題として数値データを示してローカルマニフェストにする事は出来なかったのが現職以外の候補者さんだったと理解しています。だから3候補は政策の羅列にしかならなかった。

その意味では現職からはローカルマニフェストが提示されていると思いますが、当方は未だ入手できていません。遊説隊にどこかで行き合えれば良いのですがね。
   Re: 財源と行政サービス 投稿者:山梨評論 投稿日:2007/01/07(Sun) 14:36  No.243  Home
実は、出てきた政策大綱の中に、GYH Gross Yamahashi Happiness というのがあり、調べてみてそれが「ブータンと国民総幸福量(GNH)に関する東京シンポジウム2005」に関係すると考えたので当方のホームページからリンクしておきました。
なかなか読んでいる時間がなかったのですが、これまでネット記事でこの政策大綱の基本コンセプトについて報じられることが無かったので、大変気になり始めています。

「私はGNH自身の数値化よりGNHを感じることが出来る環境整備に対しての数値化が良いのではと思っております。またGNHは他国への応用は可能で、特にアジア農村社会においては応用可能な概念だと考えています。」
これはNPO GNH研究所の平山さんが書いています。

現職さんは政策を数値化する事から逃げたのではないのか、数値で評価される事を怖れているのではないのか。
そして山梨を昔ながらの農村社会、ジコチュウ世界のままで「ほっとこう」、明確な数値化よりも観念の世界に埋没させようとしているのではないのか、
そんな疑問が今回の投稿になりました。
   Re: 財源と行政サービス 投稿者:残党ブログ 投稿日:2007/01/07(Sun) 14:58  No.244  Home
「GNP」(国民総生産)ではなくて、「GNH」という。プロダクトのPをハピネスのHに置き換えた言葉で、「国民総幸福量」と訳される◆自然を楽しみながら生きることを呼びかけた近刊の雑誌「リクウ」(中央公論新社)のなかで、解剖学者の養老孟司さんが日本に必要な知恵10項目を「養老訓」として掲げ、冒頭にGNHを挙げていた◆もとはヒマラヤ山麓(さんろく)の国、ブータンの現国王が提唱した考え方という。ブータンと聞いて、思い浮かべた文章がある。歴史学者の今枝由郎さんがブータンを旅した折の思い出をつづったエッセーである◆迷い込んだ狭い道で車が立ち往生した。向きを変えようにも、段差があって身動きがとれない。と、通行人の男性が石を拾って段差を埋め始めた。通り合わせた人がひとり、またひとり、作業に加わる◆段差がなくなるまで数分、今枝さんが助けを求めたわけではなく、人々も誰ひとり声を発しなかった。すべては黙々と始まり、終わったという。困っている人に出会ったときの、自然の流儀なのだろう◆商いに出た若旦那(だんな)が荷の重さに道でへたばったとき、行きずりの人が唐茄子(とうなす)を売るのを手伝ってくれるのは落語「唐茄子屋政談」のひとこまだが、日本にもそういう昔があった。GNHを高める秘密はどうやら、胸のなかにあるらしい。
(2006年11月8日1時53分 読売新聞)

・・・のとおりGNHは選挙用のスローガンに掲げたりするものではなく、それぞれの人の「胸の中」にあるものだそうです。軽々しく2年前の流行り言葉を使って欲しくないですね。